2012年7月28日土曜日

"むかし、大阪で加地等というフォークシンガーがいたんだ"

2012年6月、映画「加地等がいた」監督の堀内博志さんから連絡があった。7月に十三シアターセブンにて一週間上映するのでよければトーク&ライブを企画してはしいとのこと。去年、色々と連絡取り合ってもし地元の大阪で上映することがあれば何でも手伝いしますという旨を伝えたのだ。去年名古屋で上映された時僕は見に行ったが監督は病欠だったので会えなかった。それから大阪上映はいつになるか期待していたがとうとうその時がきたのだ。

準備期間はそんなにもなかった。それでもおそらく加地くんの交友関係であまり注目されにくい音楽家にも絶対にでてもらいたいという気持ちが強かった。

まずはビッグワイエットで全編EGを弾いているスピードライダーの田村幸司には是非出演してもらいたかった。とはいっても最終的に声を掛けたのは封切り一週間前を切っていたが。これはどういう形でしようか試行錯誤したという他ならないが。それでも田村くんは快く引き受けてくれ初日7日に出てくれたのだ。

田村幸司は「私のブルース」と「これで終わりにしたい」をリチャードトンプソンばりの渋い歌とギターで聴かせてくれた。
同じスピードライダーの上條さんによればこれで終わりにしたいは加地くん自身歌うのが辛いと言っていたそうで田村くんが歌うのを聴いてまるで加地くんが歌ってるように見えたとのこと。田村くんからいろいろとビッグワイエット制作裏話を聞いた。一発録音ではなく田村くんのEGは後から被せたそうだ。コンビニブルースはサブタレニアンホームシックブルース、お前はかわいいよは廃墟の街とボブディランが元ネタだ。

日付は一日飛んで7/9、この日は僕、加納良英、そして急遽来阪された堀内監督だった。

加納良英は「ニューモーニング」、僕は「楽しい日々もあったよね」を歌った。
加納良英は加地等がいた大阪芸大によく遊びに行っていてそこで何となく知り合ったのだという。それ程仲良くなかったのだがいつのまにか加地くんからよく電話がかかってくるようになった、それが何のきっかけか全く覚えてないそうだ。

僕は加地くんが円盤で一時間やりたいと言ったら田口さんに説教された話を披露した。監督や加納氏にもライブは一時間やりたいとよく言ってたらしく、30分やると言って一時間演奏したらええやんと彼によく言っていたことを思い出した。そしてそんなウソがつけない加地くん。

7/10、加地くんが "加地等"になる前、彼はユーゾーズとピーピングマニアという二つのバンドを組んでいた。
この日のゲストはそれらのバンドのメンバーだった(ユーゾーズは近年再結成している)吉田キョウベイと谷口雅史、個人的にはこの日のよもやま話と演奏は感慨深く、一番のクライマックスとなった。
加地等の意外な側面、ほぼ全作詞作曲を彼が担当したり、構成やアレンジなどもかなりきっちりと決めていたコンポーザーとしての一面を知ることが出来た。だから彼が一時期にしろ古着屋でかなり成功をおさめていたのもわかる気がする。

加地くんがユーゾーズの最初の再結成ライブ、ベイサイドジェニーでモニタースピーカーに足をかけすべらせて頭を強く打った話、真偽をお二人に伺った。
するとその話は本当でしかもキャスターが付いた可動式のモニターだったのでよけいに滑らせたのだという。この新しい事実は衝撃的だった。
僕自身加地くんからこの話を聞いてそれぐらいで救急車で運ばれるほどかなって思ったが確かに可動式だとよけいに滑り衝撃を受けてしまう。本人も言っていたが、この時の事故の後遺症で彼は心神がおかしくなる。僕らが知っている加地等の原型がこの時に生まれたのだろう(後日、偶然にもこの様子を目撃した人と酒席になり同じ話を聞いた)。

それからユーゾーズは君のスパゲティ、ユーゾーズ時代の二曲を披露、君のスパゲティはオリジナルの歌詞で歌った。全曲加地等作詞作曲だ。

彼ら二人の演奏はものすごい練習の積み重ねによるものだろう、とても安定感のあるしっかりしたものだった。その頃の加地くんは天才肌ではなく努力に努力を重ねて上手くなるタイプの音楽家だったことがなんとなく実感出来た。

トークで谷口氏から映画中に出てきた "おんなじこと" を聴いて涙ぐんだことを聞き僕も感動した。
男女のすれ違いを歌ったこの歌は二人で過ごした日々は本当に輝いていたが同時に苦しかったし別れて楽になれたという相反する二つの想いもある、しかし二人は同じことを繰り返し結局同じ夢を二人は見ていたのだろうと呟かれている。
これは男女関係だけではなく同じ夢を目指していた男同士にもあてはめることが出来るのだ。
君のスパゲティはモデルの女性がいる、加地くんが当時のグランジロックに毛嫌いしていた事、別れた女性はみんな加地くんのことを悪く言っていないなどいろんな話が聞けた。

7/13 最終日、トーク&ライブはクリトリックリス、丸尾丸子、タカダスマイルで加地くんとは直接関わりないのでトークでは特筆するものはなかったのだが演奏自体はかなり良かった。

タカダスマイルはオリオン座をカバー。
崩した感じのボーカルでオリオン座に照らされながらかつて愛した女性のことを考えている、彼女も同じオリオン座に照らされて生きているのだろうと歌われる。
なぜ僕がタカダスマイルに出演してもらったのかというと彼は映画を見て感動し、もし自分がカバーするのならオリオン座をしたいとTwitterで書いていたからだ。加地くんの歌が少しずつ広まっていくのはとても嬉しいし、技量も度胸もあるタカダスマイルに歌ってもらうのはとても良いことだ。

丸尾丸子は関西在住の女性アーティストで加地等を歌う人がいなかったので僕が依頼した。何度か加地くんと共演があり、下ネタだけではない彼の歌の良さに昔から気づいていたのは喜ばしい限り。
彼女はこれで終わりにしたいをアコーディオンと歌でカバー。僕も途中飛び入り参加した。加地くんの歌が讃美歌のように響き渡る。

最後はクリトリックリスによるチーズキムチチンポのカバー。
僕らが伴奏しスギム氏と一緒に絶叫絶唱した。
一部の人は映画の余韻に浸りたいのかこの時の様子を批判してたが、実際加地くんがこの歌を歌っていた時も乱痴気になってたもんだ。堀内監督は暗いだけで終わってほしくない、湿っぽくならないようにと希望があり僕もそのように思っていたのでスギム氏の人選となった。

これは映画と関係ないことだが、会場となった十三シアターセブンの総支配人である西村悠さんが公開初日の一日前に不慮の事故で亡くなられた。堀内監督や僕は映画やイベントなどの打ち合わせで何度かやりとりをしたがギリギリの段階でもこちらの要望を全て受け入れてくれて本当に感謝極まりない、おそらく映画公開も楽しみにしてくれたのだろう。是非見て欲しかった、御冥福を祈ります。それから一生懸命やってくれた十三シアターセブンのスタッフ皆さんにも感謝したい。

この一週間を振り返ってみて本当に忙しかった。僕自身夜勤仕事の前だったので肉体的疲労もピークに達した。それでも充実感はあったし、加地くんに少しでも役に立てたかなという気持ちにもなれた。だから加地くん、君から病気の告白を受けたのにそれから何も連絡出来ないでゴメンね。大阪で最後に一度でもライブをさせてあげたかったよ。

彼が亡くなってから一度だけ夢を見た。
それは居酒屋の座敷で僕が到着すると加地等は昔のように元気でニコニコしながらコップでビールを飲んでいた。
"森田くん、なんか俺の「楽しい日々があったよね」をカバーしてくれてるんやな、YouTubeで見たわ。ありがとな"としゃべる加地等。君もう死んどるやん!YouTube見れるんかいな?と心の中で突っ込みを入れておいた。
まあしばらくの間君とはお別れやな。それまでは眠っといて。


現在、加地等は大阪にいる。地元である寝屋川に加地等は、いる。
今、加地等は萱島にある本涌寺で眠っている。
付けられた戒名は "眞楽院 日等信士"。眞楽というのはおそらく真の音楽を追求したからだと。

それは彼の歌や僕たちの記憶とはまた別の、"むかし、大阪に加地等というフォークシンガーがいた" というたったひとつのあかしとなった。

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